日本スペイン外交関係樹立 150 周年記念 |
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The 150th Anniversary of the Establishment of Diplomatic Relations between Japan and Spain |
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VELÁZQUEZ AND THE CELEBRATION OF PAINTING: |
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世界屈指の美の殿堂として知られるプラド美術館は、スペイン王室によって収集されたスペイン、イタリア、フランドル絵画を中心に、1819 年に王立の美術館として開設されました。 |
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17 世紀のスペインは、ベラスケスをはじめリベーラ、スルバランやムリーリョなどの大画家を輩出しました。 彼らの芸術を育んだ重要な一因に、歴代スペイン国王がみな絵画を愛好し収集したことが挙げれます。 国王フェリペ 4 世の庇護を受け、王室コレクションのテイツィアーノやルーベンスの傑作群から触発を受けて大成した宮廷画家ベラスケスは、スペインにおいて絵画芸術が到達し得た究極の栄光を具現化した存在でした。 本展は、フェリペ 4 世の宮廷を中心に 17 世紀スペインの国際的なアートシーンを再現し、幅広いプラド美術館のコレクションの魅力をたっぷりご覧いただきます。 |
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会期: 2018 2/24 [土]〜 5/27 [日] 展覧会は終了しました。 |
'2018 2_23 「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」 プレス内覧会・開会式の会場内の風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
日本スペイン外交関係樹立 150 周年記念 |
日本スペイン外交関係樹立 150 周年記念 |
スペイン黄金世紀の宮廷文化 ベラスケスと絵画の栄光 国王のステータスに花開く |
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」 |
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本展は、タイトル通り、ベラスケスを中心にプラド美術館のコレクションから構成されている。 この展覧会では、ベラスケスの脇を固めるにあたってスペイン人画家の作品だけが選ばれるのではなく、外国人の画家も数多く紹介される。
イタリア人の画家も、フランドル人の画家も、オランダ人の画家も、フランス人の画家も登場する。 本展では、この現況に至るまでの歴史的、批評史的な経緯を示したい。 |
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「展覧会の構成」 |
本展の第 T 章「芸術」、第 U 章「知識」、第 V 章「神話」 では、知識と文化に関する当時の全般的な議論をまとめ、西洋の伝統における美術の実践そのものや絵画制作の基本的な問題について考察。 第 W 章特に 「宮廷」 をとりあげる。 第 X 章 「風景」 スペイン風景画制作はマドリードを舞台とし宮廷を主に展開。 第 Y 章「静物」 は、17 世紀の西洋絵画全体と最も密接に結びついたジャンルの一つであるが、ベラスケスの作品が含まれていない。 第 Z 章「宗教」 では、ベラスケス、マイーノ、リベーラ、ヴァン・ダイク、ムリーリョ、ルーベンス らの 11 点の作品から、スペイン人画家と外国人画家のつながりを強調。 本展では、絵画のほかに 9 点の書籍を第 [ 章に展示。 これらの絵画理論書や素描の入門書、重要な建造物の記述、祝祭の記録を通して、黄金世紀に美術上の様々なテーマの考察とその普及の一端に触れる。 |
'2018 2.23 「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」プレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
T 芸術 |
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左・4 ホセ・ガルシア・イダルゴ 《無原罪の聖母を描く父なる神》 1690 年頃 油彩/カンヴァス 185 x 146 cm |
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右・4 「月を足の下にし、頭には十二の星の冠」(黙示録12:1) をかぶった無原罪の宿りの聖母の絵が、画面のほぼ中央に画中画として描かれる。 その画中画に仕上げの筆を入れているのは父なる神。
頭上には、聖三位をかたどる三角形の光背がうっすらと浮かび上がる。 絵を描く画家として表された神の像は、世界の創造主としての役割を比喩的表現している。
その姿は時に、天地創造の場面とも組み合わされた。 中・1 彫刻家は、繻子のようなつやのある黒い宮廷服に身を包み、右手に箆を持ち左手で粘土像を支え、胸を張り姿勢を正した半身像で描かれている。 彫刻家が制作しているのは、国王フェリペ
4 世の頭部の粘土像である。 17 世紀の宮廷画家の日常的な仕事が肖像画の制作であり、ベラスケスが自然主義絵画を基本の姿勢としてスペイン・ハプスブルク王家の宮廷肖像画の有り様
「物語画」 より一も段低いカテゴリーと見なされる 「肖像画」 の重要性を示している。 王侯たちは最良の画家の中から肖像画家を選んだし、これらの画家たちは権力者たちのそばに仕えることによって、貴族に叙されることにもなった。
右・2 カラヴァッジョ 譲りの明暗の激しいコントラストと、厚塗りの筆致で絵具の質感を生かしながら額や手の皴を克明に描き出していく絵画的なリアリズムは、1630 年前後のリベーラ作品の様式的特徴である。 |
V 神話 |
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左・17 ペーテル・パウル・ルーベンス、ヤーコプ・ヨルダーンス 《アンドロメダを救うペルセウス》 1639-41 年 油彩/カンヴァス 223 x 163 cm |
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右・17 古代ローマの詩人オウィデイウス著 『変身物語』 に取材し、海の怪物への生贄として差し出されたエチオピアの王女アンドロメダを、英雄ペルセウスが開放する場面が描かれる。 中・15 ティツィアーノの活動後期の代表作に数えられる本作品は、繰り返し手がけたヴィーナスとオルガン奏者を主題とする絵画の一つである。右・14 本作で画家は軍神マルスをあくまでも現実の戦士と捉え、その疲れ切った姿を描いている。 ベラスケスは、ティツィアーノとルーベンスについて深く考察し、この二大巨匠が属する色彩主義の伝統のうちにあって独自の色を出そうと探究を重ね、その独自色を 《マルス》 の中に認められよう。 スペインでは、特に 1630 年代以降、裸体画を描くことや裸体画を公の場に飾ることが重罪とされるようになり、スペイン絵画収集史における最大のパラドックスが生じている。 神話を描くことは、道徳的概念と美術的概念が交錯する領域、つまり裸体の描写と直結していた。 裸体は一方で、ルネサンス以来の西洋の古典主義的伝統における優れて 「芸術的な表現形式」 であり、画家たちにとっては自分の能力の高さを最もよく示すことができる機会であった。 しかし、他方で裸体は、道徳的観点からすれば猥褻さと結びつく危険な領域でもあった。 王室コレクションには裸体が描かれた神話画や宗教画が溢れており、その多くはティツィアーノやルーベンスをはじめとするイタリアやフランドルの画家たちの手になるものであった。 |
X 風景 |
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左・34 ディエゴ・ベラスケス 《王太子バルタサール・カルロス騎馬像》 1635 年頃 油彩/カンヴァス 211.5 x 177 cm |
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左・34 王位継承者の王太子バルタサール・カルロスの凛々しく愛らしい公式騎馬像である。 王太子は王族の期待と希望を担って 1629 年 10 月 17 日、父国王フェリペ 4 世とフランス・ブルボン王家から嫁いだ王妃イサベルとの間に誕生した。 ベラスケスはイタリア遊学中のために不在で、国王は、幼い王太子の肖像を寵愛の 「余の宮廷画家」 のみに描かせようと早急な帰国を心待ちにしていたという。 本作は 「諸王国の間」 のために描かれ宮廷的な性格を帯びた、素晴らしい王室肖像画であると同時に、ヨーロッパの風景画史における名作の一つでもある。 ローマの風景と共通する流麗かつよどみのない色彩で山並みがはっきりと描き出されている点で特筆に値する。 中・39 本作がブエン・レティーロ宮殿のためにローマで注文された絵画装飾の一部であったことを示す数々の証拠が存在する。 たとえば、左下部に見える白字の 180 という数字は、カルロス 2 世の没後財産目録中の風景画のギャラリーの箇所に現れる数字に対応している。右・34 聖ヨハネス・クリュソストモスは、4 世紀のコンスタンティノープル主教で、15 世紀に広まった聖人伝に基づく、隠遁生活を送っていた彼のもとに王女が悪魔祓いを求めて訪れたが、彼女を襲い、崖から突き落としてしまう。 罪を悔いた彼は砂漠に引きこもって、神の許しを乞う。 |
Z 宗教 |
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左・52 フアン・バウティスタ・マイーノ 《聖霊降臨》 1615-20 年 油彩/カンヴァス 324 x 246 cm |
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左・52 本作はトレドの跣足カルメル会修道院聖堂主祭壇衝立のために制作された。 同修道院は聖霊の名のもとに創建された修道院で、聖母マリアや十二使徒たちの眼前に聖霊が表れる 「聖霊降臨」 の場面で聖霊はキリスト教の伝統に則り、白い鳩の姿で表され、 聖母を構図の中心として、マグダラのマリアと使徒たちが囲むように配置されている。 17 世紀初頭にローマで絵画を学んだマイーノはカラヴァッジョの作品に通暁しており、強烈な光の照射と濃密で滑らかな筆致によって強調された人物像は、彫刻の如く造形されている。中・53 「聖ペテロの解放」 は、新約聖書の使徒言行禄に基づく場面である。 投獄され、鎖につながれて兵士たちの間に寝ていたペテロのもとに天使が現れ、「急いで立て」 といって彼を解放したという逸話である。 本作は夜の暗い牢獄内の情景であることからも、カラヴァッジョに由来する明暗のコントラストを強調した照明法が際立っている。右・54 洗礼者聖ヨハネは、神の子イエス・キリストの先駆者である。 動物の皮を身にまとい、あらゆる人間に、罪を悔い改め、慈愛を実践する義務を説いた。 ガリラヤのローマ支配者ヘロデ・アンティパスは、妻を離縁し、異母兄弟ピリポの妻で自分自身の姪にあたるヘロディアスと暮らしていた。 洗礼者聖ヨハネは彼の振る舞いを非難し、ヘロデとヘロディアスをひどく怒らせた。 そのため、ヘロディアスは彼を幽閉させた。 ヘロディアスはある宴を利用して、踊りでヘロデをいたく喜ばせた自分の娘サロメに、聖ヨハネの首を褒美として求めるようにそそのかした。 ヘロデは、盆の上に聖ヨハネの首をのせて彼女の願いをかなえた。 バロック時代の画家たちが頻繁に描いたのは、本作に見える場面、すなわち犠牲者となった聖ヨハネがキリスト教的諦観で斬首を受け入れる瞬間、あるいは若きサロメが首をのせた盆を両手に持って母親ヘロディアスにそれを捧げるところであった。 |
プラド美術館 |
プラド美術館 ―「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」 図録、チラシよりの抜粋文章― |
スペインの首都マドリードにその陣容を構えるプラド美術館は、1819 年に開館した世界屈指の美術館です。 現在、収蔵作品は古代から 20 世紀初頭までをカバーし、総数 37,000 点を越えますがそのコレクションを特徴付けるものは、単なる規模の大きさや百科事典的な網羅性ではありません。 プラド美術館は基本的に絵画を中心とした 「絵画館」 であり、自国スペインの画家たちの作品、ならびに芸術の大パトロンであった歴代のスペイン国王が好み収集した作品を中心に形成されています。 そしてその個性と濃密さにおいて、世界の他の美術館と一線を画しているのです。 |
ベラスケス・ディエゴ (セビーリャ、1599年―マドリード、1660年) ―作家解説より― |
17 世紀西洋美術を代表する大画家。 セビーリャに生まれ、フランシスコ・パチェーコの工房で学ぶ。 1617 年には同地の画家組合に登録され活動を開始。 翌年パチェーコの娘と結婚。 1623 年、フェリペ 4 世の王付き画家に任命され、マドリードに移住。 以後は肖像画を主な制作分野とし、質実を旨に写実と理想を融合させた公式の王家の肖像を描く傍ら、鋭い人間心理の観察力を光らせた矮人や道化の似姿を残した。 1630 年代初めから 40 年代初めにかけてはブエン・レティーロ宮殿とトーレ・デ・ラ・パラーダ (狩猟休憩塔) の絵画装飾に加わり、画家として最も多忙かつ多産な時期を送る。 しかし、その後 1643 年に王室侍従代に任命、廷臣としての仕事や王室コレクションの絵画のかけ替えを含む宮殿装飾全般に関する仕事に多くの時間を費やすようになる。 1648-51 年に再度イタリアを訪れたのも、諸王宮を飾る古代彫刻など美術品の買いつけが主目的であった。 1625 年からは王宮配室長としての重職を務め、制作の現場からは遠ざかったが、それでも 《ラス・メニーナス》 (プラド美術館) と 《アラクネの寓話(織女たち)》 (プラド美術館) という肖像画と神話画の二大傑作を制作。 重層的に組み立てた絵画空間と、遠くから見ると形をなす粗い染みを駆使した 「視覚的」 なリアリズムにより、ルネッサンス以降西洋美術が追い求めた再現芸術としての絵画の一つの頂点を築いた。 1659 年には念願のサンティアゴ騎士団入団を果たすがその翌年没。 |
お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル) |
参考資料:「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」図録、PRESS RELEASE & 報道資料 、他。 |
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